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朝日新聞10/5より記事で、本学学生のことが紹介されています~その2(11-15)

2011/10/20

朝日新聞の教育欄「いま、子どもたちは 大学への道」という記事の中で、聖学院大学の学生のことが連続で紹介されています。
その内容をご紹介します。


11.10/19(水):「無理しない、でも堅実に」
12.10/20(木):「好奇心に火がついた」
13.10/21(金):「夢は教員、『監督で甲子園』」
         (以上、政治経済学部政治経済学科)
14.10/22(土):「児童指導員になりたくて」
15.10/23(日):「学び、早く仕事に生かしたい」
                                 (人間福祉学部)


 

10/19(水)付掲載
◆優司さん

優司さんは、高校選びも大学選びも無理をしないでやってきました。

高校は、中3の時の民間テストの結果を見て、自分のレベルに合わせて地元の高校を選びました。ただ1つこだわったのは「私立」ということ。「施設が充実しているし、生徒へのサポートも手厚いから」という理由からでした。

大学進学は考えていました。理由は、大卒の方が給料がいいし、友人が進学するから、そして親にも「大学は出ておけ」と言われたからです。

そしてやはり、「自分の偏差値に合っている」大学を選びました。
でも、一般入試を目標にすると受験自体がゴールになりがち、その知識は何の役に立つのだろう?と疑問を持ち、テストの結果より人間を多角的に見てくれるAO入試を選びました。

「僕は目標を定めて自分を高めていくというのができなくて」と語る優司さんですが、大学に入ると変わっていったそうです。


10/20(木)付掲載
◆(続)優司さん

高校時代は、義務感で授業を受け、進んで勉強をすることがほとんどなかった優司さん。
趣味で読んだ本は、たったの1冊でした。

そんな彼が大学に入ってから1年目に受けた「書き方」の授業で、新聞データベースの活用法を学びました。引用する際は日付を明記。さらに掘り下げる時は専門的な本を読む。
一度身につけると何でも応用できました。「知っているのと知らないのとでは大違い。高校のままだと、情報の使い方も文章を書く力も身につかなかった。大学は深い」と語っています。

そして、就職を考える時期になって「人に役立つ仕事をしたい」と思うようになりました。
履歴書の書き方を学び、準備を進め、病院事務に内定してからは、簿記の勉強を始めました。

記者に「病院関係の仕事なら東日本大震災の現場を見れば得するものがあるよ」と言われた彼は、愛車で宮城県石巻市の被災地に出かけ、「実際に現地を見ると全然違いました。きっと仕事にも役立ちます」と語っていたそうです。

背伸びはしない。裏返せば地に足がついている。そして素直に何でも吸収する。これが「全入時代の大学生の一つの典型だろうか」と記者は書いています。

「就職試験に落ちたらフリーターでいいと言う人がいる。でも、それって展望がない気がする」と彼は語っています。


10/21(金)付掲載
◆拓実さん

高校時代は野球漬けだった拓実さん。
強豪校ではなく、そして控え選手でしたが甲子園を目指して充実していました。でも、勉強は授業についていくだけで精一杯。

周りがみな大学に行く中で就職する気にはならなかった彼に、聖学院大学を紹介したのは高3の担任の先生でした。
「大規模な大学だと、放っておかれて埋没してしまうのではないか。少人数でやる気を高めることができればいい。学校の名前より、大学で何をしたかが大切だよ」と。

将来は教員になって野球部監督をして甲子園の夢に再び挑みたいと思っていた彼は、教職課程にも力を入れていることを知り、「推薦入試」で入りました。

「話し方」という基礎の授業から始まり、今では教育論を学んでいます。

今夏、目標とは違う2週間のインターンシップに参加しました。
その時学んだのは、「店が売りたいものと、客の欲しいものは同じではない。大切なのは客の立場でものを考える」ということ。

そして、この経験を通して「仮に大学卒業後すぐに教職につかなくても、別の社会経験を積むことはいずれ教職に生きるかもしれない」と考えました。

「大学に行かなかったら、今ごろ何も考えずに仕事をしていたような気がする」とも語っています。



以下の2記事は、「人間福祉学部」学生紹介です。

10/22(土)付掲載
◆3年男子

物心ついた時から両親の顔を知らない彼は、小学校の時、関西から埼玉県の児童福祉施設に移ってきました。
この施設の先生が親代わりのような存在でした。

「先生のように児童指導員になって自分と同じ思いをした子どもを助けたい、一生の仕事にしたい」と高校に上がる頃から思うようになりました。
最初は、全日制の高校に入りましたが、働いて稼ぐ必要に迫られて退学し、様々な仕事をしました。
でも、目標を実現するには大学には行かなければならないと思い、18歳の時、4年生の定時制に入学しました。

午前1時から早朝まで朝刊配り。昼過ぎまで寝て夕刊を配り、夕方から夜まで授業。
働きながら通学する生徒は少数でした。
「孤独」を感じたこともありましたが、「夢をあきらめて他に目標があるのか」と自問し、勉強を続けたそうです。

大学選びも苦労しました。
新聞奨学生をしながら資格がとれる福祉系、「しかも自分に合う学力水準」の大学。夜学なら全国どこでもいい、昼間なら今の自宅の近くでと思っていました。
あきらめかけたころ、ぴったりの大学が近くにあるのに気付きました。

そして21歳の秋、AO入試を受験。他の受験生は学生服や背広姿の中、自分だけ普段着でした。
自信はありました。志望理由や将来を聞かれ、これまでの道をありのまま答えました。


10/23(日)付掲載
◆(続)3年男子

人間福祉学部に入学した彼は、新聞奨学生として配達を続けています。
小さいころお世話になった児童福祉施設の先生のような指導員になる、という目標は変わっていません。

座学だけでは済まないので、授業以外にも土日などに子どもの世話をするボランティアにも参加しています。
「将来の仕事を考えると、実際に子どもと接しないといけないと思う。それが本当に福祉や心理を考えることになる」と彼は語っています。

福祉以外の書物も読むように心がけ、また、1年の時の基礎学習で学んだことを生かして「漢字」や「パソコン検定」の資格も取りました。

大学は「学びのきっかけを与えてくれる場」、そして「児童福祉分野に進むのに必要な「大卒」という印を得る場」だと彼は言います。そして、「児童福祉施設で指導員の先生と出会い、天職として目標を持った。これまでの自分の生きてきた道をたどり、子どもを相手にする仕事に早くつきたい」とも語っています。

 

(完)


>>政治経済学部政治政策学科のHPはこちら

>>朝日新聞10/5より記事で、本学学生のことが紹介されています~その1(1-10)
 

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